4.

 それから二回の週末の午後を僕は図書館で過ごした。彼女は二回ともこないだと同じように中庭の桜の根元に座って膝の上に同じ本を置き、僕が声をかけるまで眠っていた。二週間経っても、彼女はその本の半分を過ぎたところまでしか読み進んでいなかった。

 桜の蕾がほころび始めていた。彼女がその本を何故借りて帰らないのか、何故毎日その本だけを読んでいるのか、僕は尋ねることをしなかった。

「夜は眠れないから。」

 彼女も説明しようとはせず、それだけ言った。昼間ここに来ると寝てしまうのだと。

「でも幸せなの。この本がみる夢のような存在になったような気がして。」

 本が夢をみるなんて妙な発想だ。その本は淡い彩りの表紙で、僕が知らない作家が書いたものだった。

 僕の街歩きは図書館でぴたりと、それ以上南に進むことはなくなった。彼女は毎日桜の下で現実の本と、本の夢を行き来しながら、少しずつ少しずつその本を読んでいった。きっと読み終わるのが怖いのね。ある時彼女が呟いた。

「怖い?」

「私はこの本を読み終わったら、もう何もすることがないの。全てが終わってしまうから。それは少し怖いことだと思うの。」

 それがどういうことか、僕に理解できるはずもなかった。

「…全てって?」

「全ては、全て。

 彼女は僕を煙に巻いたわけじゃない。他にどう表現したらいいのかわからない、困った顔をしていた。僕は休日には必ず彼女に会っていたのに、やはり彼女を理解することはなかった。理解することを望まれてもいなかった。

 それでも彼女はついに読み終えた。桜はもう残らず咲いていた。

 満ち足りたすがすがしい顔をして、彼女は本を閉じた。そして立ち上がった。

「終わったわ。

 僕は傍らに座っていつものように大して結末の気にならない推理小説を読んでいたけれど、少し前から残り数ページを読む彼女の横顔に見入っていた。

「終わったわ。」

 空に向かって背伸びをして、ゆるい木漏れ日をまぶたに受けながら彼女はもう一度繰り返した。僕も本を芝生に置いて立ち上がった。彼女はこちらを振り返り、教室で僕の視線に気づいたあの頃のように微笑む。僕は手を伸ばし、彼女の白い頬に触れた。馬鹿げた話だけれど、僕は本当に、純粋に、その時自分の指が彼女に触れられたことに驚いていた。ふわりと柔らかく、微かに暖かい頬だった。

 何も考えていなかった。僕はゆっくりと屈んで、ピンク色の唇にキスをした。

​ ――彼女はその夜死んだ。大量の睡眠薬を飲んで。

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