2.
音をたてて、たった今紙袋に入れたばかりの本がレジ台に落ちた。
「申し訳ございません。」
咄嗟に謝って拾いもう一度手渡そうとして、差し出されたままの相手の両手が時が止まったように固まっていることに気づき、落ちたのは私の不注意ではなかったことを知る。いつの間にか染み付いた習慣をただ繰り返し、自動的に言うべきことを言うだけの日々から私は初めて顔を上げた。
「お客様…」
「あの」
私よりも少し年上くらいに見える青年だった。手と同じように凍りついた顔のまま、私の声を遮った。
「あの、すごく失礼…失礼ですけど。」
言葉が多く浮かび過ぎてうまく選べていないような急いた喋り方だったのに、深夜のラジオのようなほっとするような穏やかさを湛えて聞こえた。
「はい。」
私は本を差し出したまま返事をする。平日の昼間の店内は空いているので、続きを待っていてもなんの問題もなかった。そんなことは後付けの理由で、私は本が落ちた瞬間までと同じようにぼんやりとしてただけだったのだけれど、青年があまりにも詰まって何も言い出せないでいるので、違うとわかっていながらつい問いかけてしまった。
「お探し物でしょうか?」
「いえ、あの。あ、いえ、探していなかったわけでは、ないんですけど。あの、…二週間ほど前に、あそこ、…近くの桜並木のところに、いましたよね?」
「はい?」
思いもかけない言葉にひどく戸惑って私は彼の顔を真正面からまともに見てしまったけれど、その表情は真剣そのものだった。
「私がですか?」
「あなたです。」
それまでとはうって変って強固な響きを持った声に、無意識に記憶を辿り始めていた道筋を断たれた。
「…よく通りますので、もしかしたら…」
「泣いていました。」
――明け方にひらく朝顔のように、あの日。
ああ、まだ二週間しか経っていないのか。いや、もう二週間も生きていられたのか。案外簡単なものだ。いいえ、生きていたのかしら、私は本当にあの日から?
あの日以来私はあの桜並木を通っていない。ここへ来るのに一番の近道なのに。
「…あ…」
人違いですと取り繕うことを忘れていた。何か言わなければ、と思い、けれど変わり映えせず、私は何も考えられなかった。