窓の外を見る。身体に染み付いた動きで桜の木がただ一本立つ小さな中庭を覗いた。すると、その根元に座っている女の人が目に入った。木の陰になっていてはっきりとは見えなかったけれど、それは一枚の絵のように美しい光景だった。そしてその感覚は以前から知っているもののような気がした。昔、いつか、どこかで同じように感じたことがあるのだ。
「――あ。」
思わず声が漏れる。ほとんど同時に立ち上がって、椅子が勢いよく床に擦れた。僕は静かな空気をそれ以上乱さないようにそっと、けれど早足で歩き出す。中庭は図書館の外へは繋がっていないから、彼女がもし中庭から出てきたら見つけられるはずだけれど、今すぐ確かめたかった。もう十年以上経っている。だけど――
重い扉を押し開けた。
途端に消える紙の匂い、肺の中を入れ替える春の空気、ざあっ…と耳を過ぎてゆく風の音。
この扉を開けた瞬間、異空間に迷い込むような錯覚を起こす、目の前にひらける楽園のようなこの中庭が僕は大好きだった。けして広々とはしていない空間いっぱいに青々と芝生が敷き詰められていて、その中心にあるちいさく張り裂けそうなつぼみを無数に纏った桜の枝が、狭い空を覆い尽くしそうなほどに広がっている。そして今、その根元に彼女は居た。
ああ、間違いない。彼女は折った膝に開いた本を乗せ、その上に両方のてのひらを祈るように合わせて、木の幹に背を預け、目を閉じていた。そんな状態でも僕は間違いないと思った。彼女は僕の思い出そのままに、今僕の目の前に、絵のように現れた。
僕はゆっくりと扉を閉めて彼女に近づいた。彼女は扉の音にも、芝生を踏む僕の足音にも微動だにしなかった。どう声をかければ良いのだろう。僕のことを覚えているだろうか。近づきながら、乾いた唇を舐め、一言分の息だけを吸い込んでから気づいた。
寝ている。
彼女の身体は穏やかな寝息とともに、ゆるやかに波打っていた。
僕は足を止め、眠っている彼女を息を殺して見つめた。彼女は、まだどんな画家も描いていない、美しい一枚の絵のようだった。僕はこの絵をいつまでも見ていたいと思い、そして実際ずっと立ち尽くして彼女を見つめていた。
やがて彼女はわずかにまぶたをふるわせて、目をあけた。陽射しに透けた色の薄いその瞳が少し宙を漂ってから僕を見つけた。身じろぎをして僕を見た。まだ僕を、夢か現実か把握できていなかった。僕らはしばらく見つめ合い、そして彼女の唇が、あ、とひらいた。