日々、スギスギじゃない?
マノロブラニクを履いてボルボに乗る女になりたい。
こんにちは、免許を取りたいと言ったら家族に全力で制止を叫ばれている金井です。
酷くない?「死にたくない」 ですって。ドライブしようよって言っただけなのに。ケンドリックラマーかけてノリノリで夜中の首都高走りたいだけなのに。
でもそう、言われるまでもなく才能の無さは自覚しています。こちとらいつ何時どんな面子でトライしてもマリオカートはぶっちぎりの最下位に輝く女です。 カーブで体も傾きます。カートは曲がりません。どうせ本物もまともに運転できないわ。夢って憧れ故に発生しますよね。憧れって自分から遠いビジョンだから憧れたるんですよね。どうせどうせ。
私的憧れランキングには「免許取りたい」 と共に「ゲーマーになりたい」が暫定的に同率一位に据わっていますが、この自粛期間で人生を一番充実させているのは間違いなくゲーマーの皆さんだろうという独断と偏見による分析結果でますますその憧れは募るばかりです。
とはいえこちらも才能の欠如によりゲーマーとは程遠い実態の私も、最近はFF7リメイクのムービー動画を鑑賞しながら模範的国民でありました。自粛疲れって一体何だろう。仕事以外で外に出ることのないニート一歩手前の私としては不可解な現象です。
いや、思いましたよね。ずっと周囲に呆れられ不思議がられていた自分の生き方ーーその名称は引きこもりーーが遂に理想の国民像と重なる時が来たんだって。遅いよって。時代よやっと私に追いついたかってね。
しかしコロナで暴かれる人の本性ってありますよね。家に居たって仕事はしなくちゃなわけで暇ってわけでもなかったんですが、まさか自宅に居ながらにして被爆するとは思わなかったですね…話の通じない人間怖い。ぶるぶる。
生きていると時々、あれ、今私、もしかして天動説唱えられてんのかな?みたいな気分にさせられる人に出会いますよね?
「私たちは動く空の下で歩いています」「いや前提として地面のほうが動いているわけですよね」「地面が動いていたら地震が起きるはずじゃないですか」「えっ…いやまず重力が」「重力とかどうでもいいんです。だって歩けているんですから。でしょ?」「いやそもそも地面が」「地面なんて大したことじゃありません。だって歩けているんですから」「えっ…」「雲が流れているじゃないですか。空が動いているんですよ」「えっ、雲は流れてますけど」「空の美しさがわからないなんてひどい人ですね」「えっ…」「なんであなたは地面ばかり見るんでしょう」「えっ…」みたいなね。まあ世界って複数あるよね、みたいな。
まあ空は動いているとして、ずっとこのサイトにある謎のセクション、「海底は浮遊層」についてやっと言及してみましょうか。何故かというと、この自宅に居る期間を利用してここを充実させようと思っていたからです。思っていた、ということは、できなかった、と同義だとお気づきだとは思いますが、まあ、空は動いているんでいいじゃないですか。時間を有効に使えるなら自粛とか関係なく普通にもっと前からできていたはずですよね。ちょっと夢見ただけじゃないですか、ねえ。
というのも何故だか昔から文章を読むのも書くのも好きで、なんとなく小説になりかけのものを生成する癖があるんですよね。生理的な感覚に近くて、やろうとかやりたいとかでもなく、なんとなくだらだら今まで続いています。それでせっかくできたしと思って友人に読んでもらったりして、でも大人になるとそれも少しずつ恥ずかしくなってきたりしているので、そうか自分のサイトに載せるんだったら恥ずかしくないし(ほんとに?)誰にも迷惑かけないし、かつこの世に残せるな、と気が付いたわけです。
既にあるタイトルは昔に書いてあるものなんですが、PCを乗り換えるうちにデータが飛んじゃって、印刷した紙媒体のものしか残っていないので、地道に打ち込み直さないとないといけなくて。それが、本当に面倒くさいし、時間かかかるし、スマホでさくっと済ませられないしで、全然進んでいません。今最後まで見られるのは「a mere goodbye」だけとなっております。人が狂う瞬間ってどんな感じだろう、ということを書いてみたものです。高校生くらいの頃かな?こんなことを考えていられるなんて暇で良かったよなあ、と懐かしくなります。
学生の頃は学生という身分があったので、安心して無駄なことばかり考えられました。人って変わらないもので、私の気質は腐ってもニート(という表現はおかしい。気質が腐っていて、ニートである、というべきか、しかしそれではあまりにも悲しい)なので、ぼーっとしているか、お金にならない思考をこねくり回すか、お金にならない生成をするか、のサイクルを繰り返して生きているんですけれども、もちろんそんな自分に白目になって絶望したりすることもあります。
しかし父ができた人で「昔から世の中の文化を発展させてきたのはいわゆるニートなんだよ」と励ましてくれたことがありました。いやニートをまず否定してほしかったんだけど、そこはすっと受け入れられた…
細分化され、またそれがフュージョンしていく複雑な現代文化の中で、「発展」に貢献するという大層なことは根性のない私には難しいことでありますが、うっかり覗いてしまった方が、残らずみんな楽しめるくらいのものを書けていたらいいなあ、くらいのことは常にささやかに願っています。
いつかちゃんとした小説を書くのが夢ではあるんですけれど、私がなりたくて音楽家になったわけじゃないように、小説というものも生まれる時には勝手に生まれるんだろうと思うので、夢が叶う日が来るかもしれないし来ないかもしれない。どっちでもいいかなあ。どちらにしろ小さな世の定めだから。
なーーーーんて呑気に構えているのがまずよくない。これが敗因。私はいつも人生に負けている。なんでもう年が明けて半年も経とうとしているの?日々過ぎ過ぎじゃない?