「ピーターと狼」という演目について
今年の目標は早寝早起き、と言いながらはや2か月、達成できた日がありませんが全然心折れず毎晩明日こそはと誓っているメンタル強めの金井です、どうもこんにちは!
前回の宣言通り昨年秋、11月に行った演目の話をしたいと思います。
長ーーーーくなりますのでお暇な時に読んでくださいね。
昨年のいつだったか…夏頃だったかな? プロコフィエフ作曲「ピーターと狼」のナレーションを担当してくれている天田ななこ氏から連絡が入りました。ななこ氏は幼馴染です。美女です。お互いの酸いも甘いも見てきた仲です。いわゆるスーパーコネクターの彼女は引きこもりの私にシャバの情報を不定期に運んできてくれます。
「青葉台のママたちが集まってフィリアホールでお祭りみたいなのやるらしんだけど、演奏もできるって。私たちにぴったりじゃない?」みたいな感じだっと思います。
それが、11月28日に行われた「みんなで作る♪ママたちの文化祭」でした。
横浜市青葉台に暮らす幼い子どもを抱えたたくさんのママたち、そして彼女たちを応援するボランティアの方々が、フィリアホールという青葉台のシンボルを貸切って、ママと子どものが目いっぱい楽しめるイベントを企画していたのでした。
なーんにも知らなかった私は、地元がこんなに活気に溢れた暖かい地域だったとは…と驚きつつ、参戦させて頂くことにしました。
そう、この「ママ(あるいはパパ)たち」と「子どもたち」というのが私たちにとって重要なポイントでした。
私がこの演目と出会ったのは遡ること数年前、留学中。真夏のフランスのエクサン=プロヴァンスという田舎町でのスタージュ(音楽合宿みたいなもの)でのことでした。ヨーロッパでは当たり前のような文化ですが(あまり知られていないかもしれませんが、日本でもあります)、バカンスにぶつけたその期間は町をあげた音楽フェスも兼ねていて、町中でコンサートが開かれます。
で、私は連日、朝のレッスンを受け終えると、プログラムを片手に一人で灼熱地獄の中をふらふらとさまよい歩いていました。教会やらブドウ畑の奥に作られた屋外ステージやらで師匠のコンサートも聴きましたし、友人の師匠の室内楽だとか、誰だか知らないけどやたらうまい、みたいな演奏もとりあえず聴き漁りました。
その中の一つに、なんだかわからない小さな建物…美術館だったか?の中庭で、青空の下たった一台のピアノがポツンと置いてある会場に辿り着きました。今でもなんであんなところに行ったのかわかりません。プロコフィエフは大好きだし、空き時間にちょうどよかったとかそんな理由だったんだと思います。
子どもがたくさんいました。というか親子連れしかいなかった。
石づくりの建物に囲まれて猛暑が少し和らいだ空間に、ナレーターのお姉さんがふらっと入ってきたと思ったら、「ある朝はやく…」と話し始めたのでした。その時ちょうど柔らかい風が吹き抜けたのを覚えています。子どもたちが一斉に口をつぐみました。ラフなお兄さんが上機嫌でピアノを弾き始めます。
あらまあ…そこはもう物語の中でした。
プロコフィエフは1891年生まれ1953年没のロシア人の作曲家です。近代ですね。もちろん天才です。独特の響きと驚異の技術、伝統とインパクト。すべてを兼ね備えた曲を作る信じられない人です。
あまり耳馴染みのない名前かもしれませんが、絶対に誰もが知っている曲がいっぱいあります。あなたもどなたも、あーこれってそうなの?!と叫ぶでしょう。「ピーターと狼」もそんな中の一曲です。
元々はオーケストラとナレーションで構成された曲なので、ピアノ一台での演奏は編曲版ということになります。私は編曲よりオリジナルのほうが良いに決まってるだろ派なのでさっぱり興味がなかったのですが、その日は本当に驚きました。
単純に演奏がバリうまかったのもありますが(あんなに上手なピアニストだったのに名前を忘れた)、子どもたちが本当によく聴いていたからです。
子ども向けの演目ではありますが、曲自体は流石にプロコフィエフ、一切の手抜きなくぬかりなく隙なく…大人にもしっかり聴きごたえがあり、全然子ども向けともいえません。子ども心を失った私から見れば、むしろ子どもが聴くのは大変なんじゃないかな?と思うほど。ただ他の曲と違うのは、かなり説明的な音楽であるということだけです。
情感豊かなナレーションとスタイリッシュなピアノで進行していく物語に、子どもたちは時に笑い時に怯え、時にママやパパにひそひそと補足説明を求めながら、理解し、楽しみ、最後まで集中を切らすことはありあませんでした。
開放的で心地よい空間でしたが、けして音楽を聴くのに適した環境とは言えませんでした。中庭なので音響は最悪だし、風の音や鳥の鳴き声で静寂という瞬間はことごとく遮られ、椅子はガタガタのパイプ椅子。でも、そんなことは関係ないようでした。
私はその時、はっきりと「文化」を感じたのでした。「聴く」文化、「聴かせる」文化、「音楽」という文化。日本でこんな瞬間を見たことはない、だけど、これはごく普通のことなんだ。
もちろん留学中はことあるごとにコンサートが至るところで行われ、そのたびどこからか人々が集まってきて音楽を楽しんで帰っていく、そういう文化の中に私はいました。それでもこんなたくさんの幼い子どもたちが漏れなく集中して音楽を聴くという場面に出くわしたことはなかった。そうか、この子たちがやがてどこからともなくコンサートに引き寄せられていく大人になるのか。
人々の根もとにまでそんな文化が浸透していると実感したのはそれが初めてだったのです。
さてここ日本ではどうですか? ほとんどの親御さんたちが自分の子どもに「音楽を聴かせたい」と思っているでしょう。教育にいいらしいですからね。巷には子ども向けのコンサートが溢れています。ちょっと検索すれば、あなたの地元にも0歳から参加できるコンサートがあるでしょう。
そこで演奏されるのはどんな曲ですか? 童謡、みんなのうた、ジブリ、ディズニー…
ほとんどが、「知っている曲だから」楽しめる、そんな「子どものための」、親御さんたちにとっては「子どもが楽しめるから」よかったなと思えるコンサートでしょう。それもとてもいいことです。どんどん参加したらいいと思います。
でも、大人と子どもがどちらかに合わせることなく、知らなくたって質の高い音楽を聴いて同じように楽しめる機会があってもいいじゃないか、いやむしろなぜ今までなかったんだろう?
じゃ、やろう!
ということでやることにしました。もちろんピアノは私が弾くとして、ナレーションはどうしよう、とコンマ1秒くらい悩んですぐ答えが出ました。
私ってなんて強運なのかしら、モデル出身でMC経験が豊富で子育て真っ最中というとんでもない適役が20年くらいずっと側にいたんです。冒頭の天田ななこ氏です。問答無用で引きずり込みました。
というわけで、私が帰国してからなんやかんやクダクダしながらも取り組み始め、こうして大きなイベントでやらせて頂けるまでに育ってきました。
この演目のポイントは3つです。
① いわゆるクラシックといわれるジャンルの素晴らしい曲であること。
② 物語の筋があること。それが全て耳から入ってくる情報であること。
③ 演奏時間が20分ほどと短いこと。
①については特に説明はいりませんね。聴けばすぐにわかります。
②について。「知らない」ことに耐性がなかったとしても、物語の筋を追うことによって退屈や拒否反応をカバーできます。
③について。クラシックコンサートって長いんです。子どもの集中力を遥かに超えてきます。だから私がやりたいのはコンサートではありません。ただ聴いて、想像して、楽しむ。それだけのことです。
11月28日、会場は子どもたちとママたちで埋め尽くされました。
これが成功したのかどうか、ということはあの子どもたちが育つまでわかりません。文化は一日では根付きません。
なのでこの演目は長い年月、たくさんやっていればいいなと思っているのですが、同じコンセプトでできるバリエーションをもう少し増やしたいところなのでもう一つ別の演目にも目をつけています。
ご興味ある方、ちょっとの時間とピアノさえあればどこにでも捩じ込める演目なので、どんどんお声がけくださいね!
今プロモーション用の映像を作成中…です。私のサイトの全ページに渡って作成中、ですが…できる!そのうち!
また、この初めての大掛かりなイベントを大盛況に導いた、主催のスパイスアップ編集部・実行委員の皆々様には心から感謝しています。準備も当日もエネルギーがすごかった。完全に乗っからせてもらった形になりましたが、いつか私も貢献できることがあったらいいなと思います。
それからもちろん、聴きに来てくださったたくさんの方々も、本当にありがとうございました。
うん、まあ11月の話なので、どれもこれも今更すぎますけどね。でもここでひっそりとお礼を言っておこうかな、と。
ーー最後に、天田ななことは何者なのか?
彼女は、また全然違う新しい文化を作ろうと奮闘している人です。私と彼女は異質すぎる人種ですけれど、こうして一つの目標に取り組めることは人生の素敵な不思議。その活動、女性は必見。チェケラ!
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