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3.

 

 退院して、それでも藤沢くんは高校に通うことをしばらく許されなかった。飛び降りた瞬間を見たのは私だけでも、その後の光景は多くの生徒が見ていて、私以上にショックを受けて精神的ダメージを負っている生徒が少なくなかったからだ。藤沢くん自身の精神状態ももちろん信用されているわけがなかった。だけど転校はできないみたいなんだ、退学にもならない、公立だし、と藤沢くんは言った。別に俺はどこだっていいんだけど、どこも受け入れてくれないんだってさ、まあ当然だよね。辞めたっていいんだけど、でも親がさ…その口調は他人事のようだった。

 その間、私と藤沢くんはよく会った。私たちは少しだけ仲良くなった。頭は相変わらず包帯でぐるぐる巻きにされていて、カウンセリングに通わされながら、重そうな頭を押さえてめんどくさいなあ、とよく言った。大したことしてないのに。そして私の顔を見て、変な人、と言うのだ。

「窓から飛び降りたのを目撃しちゃった人になんで近寄ってくるわけ?」

「藤沢くんのほうが理解不能だよ。死にたくないのに自殺するなんて。」

「いやー」

 自殺じゃなんだけどなあー、とぼやく。自殺だよ、と私は言う。大して中身のない会話。学校の近くの川原で、そんなような話をして、少し授業のノートを見せてあげたりする。コピーとってあげようかと言ったらいらないと言われた。授業なんか受けなくたって教科書見たらほんとうは全部わかるようになってるんだ。そうかもね、と私は答える。他に藤沢くんに会いに来る友達はいなかった。友達いないもん、と彼は言う。

「だって、作らなかったでしょ?

「作り方わからないし。誰と話してても面白くないし。別にいーんだもん。」

 そういうふうに言われると私と今話していて面白くないと思われているのかと不安になる。相原さんといるのは楽しいよ、とは言ってくれない。そういう人なのだとだんだんわかってきていた。私が会いに行かなくなったらきっと彼から会いにはこない。けれど、もう来るなと拒絶されない限り、私はまめに会いに来ようと思っている。少し目を離すと彼がまたふらっと死に行ってしまいそうな気がしているから。それだけはどうしても怖かった。私たちは家に帰ったらすぐに忘れてしまうような程度の会話を、更に薄めて引き延ばして、時に沈黙さえ交えながら日が暮れるまでして、寒くなったらどちらからともなく立ち上がり、バイバイ、と別れる。また明日ね、と私は必ず言う。藤沢くんはだまって微笑んで、夕暮れに向かって歩き出す。そんな日々。

 実際のところ私たちが心を通わせたことはなかったように思う――というのは、大した話はしていないのに、私は彼の言うことがほとんど理解できなかったのだ。言葉ひとつひとつの意味は何も不可解な使い方はしていないはずなのに、それが連なって台詞となると、藤沢くんは隣にいながらパラレルワールドの住民のようだった。感覚がまるで重ならないのだ。私はよく困惑した。わからない、と言っていいのかわからなかった。彼がやはり自分は理解されないのだと知ることが、失望に値するのかどうかさえもよくわからなかった。けれど、彼はきっと私は彼の一かけらも理解できていないことは知っていたと思う。そしてそれにわざわざ気落ちすることもなかったと思う。それは私たちの間に横たわる一つの前提のようなものだった。理解しあえないかわりに、タブーもなかった。デリカシーを必要としなかった。それは一種貴重な間柄といえるかもしれない。

「ねえ、まだ死にたい?」

「死にたいわけじゃないって。

 藤沢くんは顔をしかめる。彼はどんな誤解も恐れてはいなかったけれど、誤解は誤解だと指摘した。私は何度も指摘された。

「なんていうかな、あれはさ…」

 自分が窓から飛び降りた理由を平気で説明する。

「死にたかったんじゃなくて、単に、あ、今死のうかなって思ったんだ。

 そして私はやはりわからなかった。

「ふーん。

 そして一応考える。沈黙は大抵私が彼の言葉の意味を考えている時に訪れるもので、その時間は川の不思議な一定間をともなったざわめきや、放課後の小学生達の笑い声や、自転車のベルや、豆腐屋のラッパの音などが適当に埋めてくれた。

「お父さんとかお母さん、平気?」

「あー…

 藤沢くんはまた顔をしかめた。

「ちょっとな。かわいそうだよな。息子、死にそうになってさ。」

「ちょっとじゃないよ。」

「うん。」

 珍しく神妙な顔をして頷く。母さん、毎日、必ず思い出したように泣くんだ。それで俺とどうやって接せばいいのかわからなくなってるんだ。自分の育て方の何が間違ってたのか答えを探すのに必死なんだ。俺にそれを聞きたいんだけど聞いていいのかわからないんだ。聞かれても困るんだけど。だって母さんは別に何も悪くないし。答えなんかないからさ。

「じゃ、謝れば?」

 私がそう提案すると、彼は鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして言う。

何を?」

​ 私は彼と何があまりにも違うのかすらもよくわからないで、黙ってしまう。

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