2.
ノックをして、ドアを引き開けた。
彼の自殺未遂の瞬間を目の当たりにしたのはやはり私だけで、異常なパニックを起こした私を心配して、学校も親も私にカウンセリングを受けさせようとした。けれど私は平気だった。あの時、私ももう一台の救急車に入れられいて、病院に着く前に気絶していた。病室の白いベッドの上で目を覚ました時にはもう冷静になって、自分の行動を振り返って把握できていた。指折り数えれば、彼の名前を何度呼んだか正確に言えるほどだった。母親が私の手を握っていた。白い天井の次にその手を辿って顔を見ると顔がぐちゃぐちゃになるほど泣いていた。母親の顔がそんなふうになることを私は初めて知った。気が付いた私の目を見つめた次の瞬間覆いかぶさるように私を抱きしめて、涙声で怖かったね、怖かったね、と言った。
こわかった、と私は機械的に言った。そう言わなければならないような気がしたから、母のために。
異様に疲れていたこと以外は、本当に平気だった。大丈夫だから、と何度繰り返してもカウンセリングを受けさせられ、やはり数日後には元通りの、普通の生活に戻れた。ただ私は藤沢くんに会いたかった。理由はわからない。ただ会ってみたかった。藤沢くんは一命を取り留めていた。会いたいと言うと両親や担任の教師に必死に止められた。彼のほうも自殺を試みた高校生ということで、面会は難しかった。彼こそ、もちろん長いカウンセリングが必要な立場だった。けれどどうしても私は会いたかったし、彼にもう一度会ってもパニックを起こさない自信があった。私はつとめて必要以上に正常な状態を振舞って、そしてやっと許可を得たのだった。
藤沢くんは点滴のために左腕だけを布団から出して、頭は包帯でぐるぐる巻きにされ、一回り大きくなっていた。ぼんやりと両目を開けて、窓の外を見ていた。今日も秋晴れの乾いた空だった。ドアの音に億劫そうに顔を傾けて、私を見つけた。
「ああ…相原さん」
吐息とともに私の名前を呼んだ。たぶん、初めて。
「こんにちは。」
私は何を言ったらいいのかわからずにそれだけ言って口ごもった。彼はクラスではあまり目立たないタイプで、みんなと同じように私も彼とろくに話したことがなかった。彼は、うん、と言った。それから、
「生きてたねえ。」
と言った。
生きてたねえって何? と思った。
「死にたかったの?」
素朴な疑問を口にして、愚問だと気がついた。死にたくなかったらあんな真似をするはずがない。なぜ死にたかったの? そう尋ねるべきだった。しかし彼の答えは意外なものだった。
「ううん、別に。」
「別に?」
私は呆気にとられた。
「うん、別に。死ぬかなあと思ったけど。」
「何それ?」
「うん。」
それから沈黙が降りた。私は今度こそ何を言えばいいのかわからなくなっていたし、彼も何も説明する気がないようだし、話題が何もない。けれど私にはあまり重くはない沈黙のように思えた。よく晴れた空と、白く整然とした清潔感のある病室のせいかもしれない。
「…なんか、つらいこと、あったの?」
長い沈黙の後で、私はまた聞いた。
「別に。ただ死ねるかなあって。」
「やっぱり死にたいんじゃない。」
「違うよ。別に俺は何もつらくないし不幸でもなんでもないよ。ただ死ねるかなあって思っただけなんだ。びっくりさせてごめんね。」
「ううん。」
私は首を振った。突然、なぜ彼に会いたかったのか、自分が彼に何を言いたかったのかが、わかった。
「生きてて良かった。」
藤沢くんは少し笑った。